2013年7月1日月曜日

憎悪の袋小路「灼熱の魂」その2


【印象的なシーン・三つの絶望】
虚ろな目と、表情を失った顔。周囲の一切に反応しない、孤独と絶望の顔。ナワルは、そんな姿を三度見せる。


まず、最初の妊娠と駆け落ちの時。兄弟たちにムスリムの恋人を殺され、自分も家族の恥として銃を頭に突き付けられた時。幸せを掴むはずだったのに、一転して全てを失った。その絶望にナワルは表情を失い、抵抗すら放棄した。

祖母の計らいで命は助けられるが、産んだ子供は直ぐ孤児院ヘ送られ、ナワル自身も町の親戚に預けられる。つまり、周囲の言うままに従った。

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次は、乗り合わせたバスが襲撃された時。ムスリムを狙った無差別殺戮で、
キリスト教徒だったナワル以外の全員が殺された。彼女は十字架の首飾りを掲げて、自分がキリスト教徒であると叫ぶことで助かった。

自分が目の前の殺戮者たちと同じ側の人間だと叫ぶ以外、助かる術は無かった。しかし、せめて救おうとしたムスリムの子供は、その彼らによって目の前で撃ち殺された。

火をかけられたバスが激しく燃えている。周りには荒れ地が広がるだけ。それ以外には、何も無い。この理不尽を止めるものも、咎めるものも、罰するものも無い。その絶望と嫌悪にナワルは表情を失い、荒れ地に座り込む。

その後、彼女は暗殺者として、戦いの場に参加する。選択し、行動したのだ。この、憎悪の一方の側に身を置いた時の彼女が、一番輝いて美しく見えた。



最後は、冒頭の市民プールのシーン。自分の半生の全てを理解した時の絶望。もはや彼女を救う祖母も親も亡く、彼女が選択出来る憎悪の側も無い。愛の対象と憎悪の対象が同一と知ってしまった彼女は、憎悪の袋小路で表情を失う。

ナワルの遺した遺言は、ジャンヌとシモンに三つの絶望を追体験させ、憎悪が人を袋小路に導くと教えたのかもしれない。






【憎悪の連鎖】
この映画は、壮絶で美しい物語だ。しかし、最初にも書いたように、憎悪の連鎖を断ち切る何かを示しているとは思えなかった。

現実で考えた場合、憎悪の対象から遠く離れ、出来るだけ忘れるのがベストではないか?  ナワルがキリスト教武装勢力への憎悪に駆られた時、暗殺者ではなくカナダへの移住を選んでいたら…。

遠く離れる事が無理な状態なら、出来るだけ早く和平協定なりを結ぶとか、教育や宗教で若い世代を変えるという事になるのだろう。ただ、それは歴史をみる限り、あまり効果は無いようだ。

紛争地域に限らず、憎悪の連鎖は何処にでもあるけれど、忘れていくという以外の解決方法は知らない。でも必ず、自分の利害に絡めて蒸し返す連中が出て来る。そうなれば、さまざまな努力は簡単に無となる。

さまざま民族や宗教が同居し、紛争の歴史を繰り返す国や地域の人たちにとって、憎悪の連鎖ほど厄介なものは無いだろう。こうしたテーマの作品も、おそらく無くなる事はない。


おしまい。