2013年6月21日金曜日

一生モノの映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」その3

前エントリーから。感想の続き。


・神が存在する物語とは、何を意味するのだろう?
二つの物語を語り終えた後の会話を、もう一度みてみる。

パイ:「どちらの物語でも、沈没理由は分からない。どちらの物語でも、それを証明出来ない。どちらの物語でも、家族は死ぬ。どちらの物語でも、私は苦しむ。 それで、どっちを選びたい?」

作家:「トラの物語を…そっちが良い物語だ」

パイ:「ありがとう。 それは、神が存在する物語だ」

この会話でパイが言った、神が存在する物語…とは、何を意味しているのだろう? ここにも多くの示唆が含まれているようだ。


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まず、トラの物語はパイが作った話だろうか?  いや、そうでは無いだろう。もし創作なら、二つの物語を語る必要は無い。救助された当初ならまだしも、長い年月が経っている。他者に語るべき物語がどちらなのかのという選択は、自ずと出来ているはずだ。

先のエントリーで、パイは未だにどちら物語を選ぶか決めかねていると書いた。が、より正確には、二つの物語のどちらもパイの記憶となっていて、どちらが、どこまで本当の体験と記憶なのか、本人も判別出来ないのだろう。「どちらの物語でも、それを証明出来ない」のだ。

つまり、どちらを選びたいか、自分で決めるしか無いということだ。それはパイであれ、彼から二つの物語を聞いた人であれ同じだ。そして、どちらの物語を選ぶか決めた瞬間、物語はその人だけの意味を持って完結する。

逆に言えば、二つの物語を語るパイは、まだ選ぶ事が出来ていない。なにしろ彼は当事者であり、「どちらの物語でも、私は苦しむ。」のだから。



では、トラの物語は、いつ生まれたのか?  それは、パイがメキシコの海岸に辿り着いて、意識を失った時だと思う。過酷な現実の舞台だった救命ボートから降りて、かつ、理性や論理性から解放された、その時にいきなり物語は生まれたのだろう。そして、それはもう一つの記憶となった。



そして、パイがトラの物語を、「それは、神が存在する物語だ」と表現したのは何故だろう?  それを知るには、彼が長い漂流の間に何を考え何を思ったのかを想像するしかない。

船が沈んで数日の間に、悲惨な出来事が起きてしまい、彼自身も恐ろしい事をしてしまう。それからの長い長い日々。生きる為に必死で闘いながらも、決して忘れる事の出来ない記憶が彼を責め続けただろう。

同時に彼は、神にも問い続けたのではないか。パイは、幼い頃から宗教に強い興味を持っている子供だった。それで無くとも、大海原を漂う彼の前に、人間の理解や想像を遥かに超越した光景が現れる。

神にすがり、苦悩をぶつけ、何度も何度も問い続けただろう。無論、何処からも神の声は返って来ない。しかし救助され意識を取り戻した時、彼は二つの記憶を持っていた。パイが、トラの物語を神からの返事だと捉えるのは、自然な事だと思う。神が存在したがゆえに生まれた物語、それを神のいる物語と言ったのだろう。

トラのいない物語だけなら、パイの苦しみは耐え難いほどだったかもしれない。果たして家庭を、子供を持つ事が出来ただろうか。トラのいる物語だけなら、彼は嘆きと悲しみを持ち続けるだろうが、自分に問い続けるという業は抱え込まずに済んだかもしれない。しかしそれでは、考える事も失う。

二つの物語が、判別出来ないほど記憶の一部となっているのは、それこそ神の絶妙な配分かもしれない。



他にもたくさん、考えるべき事がある。
なぜトラは最後までボートに居たのか?
二つの物語の違いは何か?
トラの物語が果たす役割は?

しかしキリが無いので、取り敢えずここまで。やはり一生モノの映画という評価は、大袈裟では無いと思う。

おしまい。

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