2013年6月17日月曜日

深読みしたくなる映画「約束の旅路」その3


この映画ヘの、ちょっと妄想気味の感想をまとめてみる。

監督の狙いは、次のようなものだったのではと思う。

・一つは、エチオピア系ユダヤ人の存在を知らせる
・一つは、エチオピア系ユダヤ人が直面している問題を知らせる
・一つは、救出対象の選別に疑問を呈する

そして、それらすべてを「感動的なヒューマンドラマ」という味付けで覆い、反ユダヤ・反イスラエルという批判を回避する。



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まず、エチオピア系ユダヤ人というものの存在や経緯は、世界の人々によく知られているとは言い難い。映画の題材として取り上げることは、それを広く知らせるのに最も効果の有る方法の一つだ。実際、遥か日本の片隅で、こんな感想を書いている人間までいるのだから、それはかなり上手くいったのだろう。




次の、エチオピア系ユダヤ人がイスラエルで直面する問題については、主人公「シュロモ」が、少年から青年へと成長する様子に合わせて丁寧に描かれている。というより、映画のほとんどの時間が費やされていた。

なぜなら、シュロモが苦しんだ孤独と疎外感、そしてあからさまな差別こそ、イスラエルにおけるエチオピア系ユダヤ人問題の主要部分だからだろう。学校で、宗教の場で、恋愛や結婚・就職・政治で、彼らが今もぶつかり続けている事だからだろう。

ただそれらの問題は、彼を愛してくれる養母と恋人の存在によって救われるシーンが用意されていて、結果としてはソフトな印象に仕上げられている。この養父母はフランス系ユダヤ人で白人、シュロモの恋人になるのもヨーロッパ系の白人ユダヤ人だ。


これはちょっと、都合が良すぎるように思える。もちろん、そういう人たちは居るだろう。でも、そういう人たちが居ない中でもがく、エチオピア系ユダヤ人の方が現実には近いのではないだろうか。しかしそれでは現実的過ぎて、感動的な物語が成り立たない。その意味で必要な記定だったのだろう。

あるいは、この養母は、イスラエルの良心的な部分を象徴しているのかもしれない。肌の色こそ違え、内乱と飢餓に苦しんでいる同じユダヤ人を祖国イスラエルに迎えよう…という建前をそのまま信じ、そうで在らねばならないと突き進む人だ。対して養父は、イスラエルの本音を表しているようだ。祖国を護るには、一人でも多くの兵が必要だ…とシュロモの前で言ってしまったりする。

少年時代のシュロモで印象的だったのは、難民キャンプで一人暮らす母への手紙を代筆して貰う為に、同じエチオピア人の下を訪ねたシーン。養父母の家でも学校でも自信無げに俯いていたシュロモが、ここでは子供らしい素顔を自然に出していた。シュロモは、その後も彼を度々訪ね、悩みや葛藤をぶつける。彼の存在も、養母や恋人とは違う、同じ黒人という意味での救いだったのだろう。




しかしシュロモには、養父母や恋人にはむろん、同じエチオピア人の彼にも言えない秘密を抱えている。宗教を偽っている事だ。ユダヤ人の定義というのがどうも曖昧なのだが、ユダヤ教徒であること、母親がユダヤ人であることらしい。そのユダヤ教徒であることの定義も、「政治的な要請」によって決まる。

エチオピアのユダヤ人も、そうやってイスラエルによって線引きされた。その、イスラエルの都合に合せた恣意的な選別に対して、この映画は疑問を呈していると思う。



ここで、冒頭のシーンに戻ってみる。よく考えられた映画は、冒頭シーンですべてを語っている事が多い。

このシーンで不思議なのは、子供を亡くした女性の後をシュロモに追わせた母親の表情だ。エチオピアのユダヤ人だけを迎えに来たトラックに並ぶ女性は、いきなり見知らぬ子供に手を繋がれて驚く。

その子供が振り返った先を見て、シュロモの母親と視線を交えるのだが、頼むという仕草一つしない。もちろん、声を挙げて頼んだりしたらイスラエル兵にウソがバレてしまう。

しかし他人に自分の子供を預け、しかもキリスト教徒の子供をユダヤ人と偽って連れて行って貰うのだ。それしか、キャンプを脱出して子供がチャンスを得る方法が無い。そして、彼女が拒否して騒いだらお終いなのだ。



母親としては、思わず縋るような表情になるのではないか?  しかしシュロモの母親は無表情で彼女を見返すだけだ。縋るような様子どころか、むしろ威厳さえ感じる。

それは、この選別に対する拒絶ではないか?

 彼女の息子が亡くなり一つの席が空くのなら、息子のシュロモがそれを使うのは当然だ。たとえ、イスラエルの決めたユダヤ人という条件に合って無くても。なぜなら、死んだ子供とシュロモは、何も変わらない同じ命なのだから。このキャンプに居る限り、希望も安全も無い一つの命なのだから。

そんな思いが、哀願ではなくて威厳のある無表情を作ったのではないだろうか? そして、同じようにエチオピアでの内戦と飢餓をくぐり抜け、このキャンプで子供を亡くした女性には、その思いが分かったのではないだろうか。

そしてそれが、この映画で監督が伝えたかった事ではないだろうか。



母親が別れ際に言った、「VA, VIS ET DEVIENS」「行け、生きよ、生まれ変われ」という言葉は、そうして良いんだ、そうするべきなんだという強いメッセージだろう。生きるチャンスを掴む事は、他の如何なる事より大事な使命だ。


おしまい




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