2013年6月10日月曜日

淡々としたリアル「チェチェン・ウォー」その2


DVDのジャケットから想像すると、誤解してしまうかもしれない。派手な戦闘シーンは無いし、無理に盛り上げるようなストーリーも、泣かせる演出も無い。ただ、淡々と酷い事が行われ、戦闘が行われる。

いうならば、「淡々としたリアル」と表現したい映画だ。随所にある、何度か見直して気付くような細かいこだわりが、そのリアルさを支えているのだろう。見る側にとって非日常な世界が描かれているのに、そこでの日常を見ているようなリアルさがある。だから余計に怖いし、不快にもなる。

しかし、原題のところでも触れたが、この映画は一つの紛争や戦争を描いているのでは無く、もっと大きな視野で世界を捉えた作品だと思う。異なる二つの世界がひと時だけ交差し、またそれぞれの世界に戻る。それが、この映画の骨格だろう。

異なる二つの世界を表すのは、もちろん二人の主人公だ。イワンとジョン。一方はロシアの、もう一方は英米の象徴的な男性名だ。この二人の対比が、映画の全編を貫いている。敵と味方という構図ではなく、イワンとジョンという構図だ。そこでは、敵であるチェチェン武装勢力も、イワンと同じ世界の住人に過ぎない。

それは欧米的なものとロシア的なものとの対比、と言い換えられるのかもしれない。




描かれている二人の対比を、箇条書きに並べてみた。

手を汚さないジョン
手を汚すイワン

悩まないイワン
悩むジョン

はしゃぐジョン
醒めてるイワン

裏切らないイワン
裏切るジョン

自然なイワン
浮いてるジョン



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象徴的なシーンを取り上げてみる。


便乗したロシア軍のトラックを降りて、イワンとジョンはチェチェンの山岳地帯を徒歩で移動する。二人は、通りがかりの車を奪おうと渓谷沿いの山道で罠を仕掛ける。しかしジョンのドジによって銃撃戦となり、イワンが三人の男女を殺す。

初めての銃撃戦、目の前の無残な死体。ジョンは錯乱し、「人を殺してしまった、殺すなんて間違ってる」と、うわ言のように繰り返す。その時、イワンが厳しく言い返す。「殺したのは、お前じゃなくて俺だ。そして確かに間違っている。俺ではなく、お前が殺すべきだった。なぜなら、これはお前の戦争だから」

当事者でありながら、現実の汚れから逃げようとするジョン。当事者では無いのに、手を汚す事を躊躇わず必要な事を行うイワン。二人の対比は、二人が体現するものの対比だ。綺麗事を口にしながら、その実はズルいだけのジョン。乱暴に見えて、実はお人好しで損するイワン。

なにか、監督の声が聞こえて来そうなシーンだ。





もう一つ、すべてが終わって、ロシア軍の基地でのシーン

このシーンでは、三者三様の姿が描かれている。三者とは、ジョンとイワン、そしてジョンの恋人だったマーガレットだ。

このマーガレットという存在は、とても不思議だ。普通の戦争映画なら、主人公が救い出す囚われた恋人…それだけの存在だろう。しかし、この映画では違う。

武装勢力によってジョンやイワンと一緒に穴倉に放り込まれた時から、彼女は先に捕らえられていたロシア軍の大尉に惚れてしまう。二人が助けに来た時も、全裸で大尉に縋り付いていた。負傷で下半身が動かない大尉が病院に搬送され、取り残されたマーガレットは呆然と独り佇む。焦点の定まらぬ目で何処か遠くを見ている彼女には、ジョンの存在などまったく認識されていないようだ。

分かり易いジョンとイワンの対比に較べて彼女の在り様は、さらに深い視点を与えてくれる。もしかしたら、この世に女性が存在する意味を表しているのかもしれない。


ジョンはそんな彼女を見て見ぬ振りをして、自動小銃を肩にロシア兵たちの輪に入り、大袈裟な身振りで武勇伝を語っている。


イワンは約束の金を受け取ると、何か言いたげなジョンを残し、脅して協力させたチェチェン人の傍に行く。黙って金を差し出し、煙草に火を付ける。夕暮れの中、二人は無言のまま佇んでいる。イワンは、残った金も大尉の家族に送る。

最後まで淡々としたイワンの語りで、映画は終わる。

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